有名なプロ野球選手の少年野球時代を調べてみるシリーズ!
今回は、”ジャイアンツの坂本勇人選手”です。
坂本勇人選手の少年野球時代について
もはやジャイアンツ....というより、日本を代表する選手である坂本選手。
少年野球をやっているウチの息子も当然ながら大ファンで、いつも坂本Tシャツを着て学校に行ってます(笑)
そんな坂本選手のちょっとしたプロフィールはこちら。
- 身長:186cm
- 体重:85kg
- 生年月日:1988年12月14日
- 経歴:光星学院(現 八戸学院光星)-巨人(2007年〜)
少年野球チームは『昆陽里タイガース』
坂本選手は、大阪府伊丹市にある昆陽里(こやのさと)タイガースというチームに所属していたそうです。
伊丹タイガースという名称でスタートしたそうですが、1967年発足ということで、かなり歴史があるチームみたいですね。
地元では名門チームとして知られていることでしょう。
ウェブサイトの情報が2014頃から更新されていないので、最近の戦績などはわかりませんでした。
メジャーリーガー田中将大投手とチームメイト
これはあまりにも有名な話なので、書くのもちょっと恥ずかしいのですが(笑)、坂本選手と田中投手は昆陽里タイガースでバッテリーを組んでいたという逸話があります。
しかも当時は、坂本ピッチャー、田中キャッチャー。(笑)
そんな事ってあるんですね。
普通はプロ野球選手を輩出したということだけでも大変なことなのに、二人ともトッププレイヤーですからね。
この幼馴染み凄いと思う人RT
坂本勇人
田中将大 pic.twitter.com/MDqyVSBTpx— 野球好き(^-^) (@CsbWn) February 1, 2016
当時から野球センスは抜群だった
その当時の関係者のインタビューを見ていると、坂本選手は当時からずば抜けたセンスを持っていたようですね。
内野を守らせればどんなボールも捌く。そして強肩。クレバーなプレイでより本塁へ近い走者をアウトにする.....。
わかります。そういうセンス抜群の小学生たまに見かけます。。
そもそもお兄さんが昆陽里タイガースに所属していて、幼稚園の頃からチームの練習に参加していた(遊びに来ていた)そうです。
幼少期から野球に触れていて、当時からひたすらに壁当て練習して遊んでいるような幼稚園児だったんだとか。(笑)
その結果、顔見知り&既に野球がそこそこできる、という理由で”入団できるのは3年生から”という当時のチームルールが覆り、小学校入学と同時に昆陽里タイガースに入団したそうです。
坂本は左利き!?
右投げ右打ちで大活躍している坂本選手は、実は左利きなんです。
今でも、サインするときや箸の持ち手は左だそうです。
ただ、野球に関していうと、一塁が近いという理由で右から左にコンバートする人は多いですが、その逆はあまり聞いたことがありません。
坂本選手が右投げ右打ちになったのにも、いくつかの理由があるようです。
まず右投げになったのは、既に野球をやっていた兄からお下がりしてきたグローブが右利き用だったということ。
その流れからか打ち手も右だったそうですが、左利きのメリットを活かしたいと考えた指導者の方が、スイッチヒッターを勧めて一時期両打ちに。
しかし、後に右打ち一本に戻しています。
そこには諸説ありそうですが、当時の練習グラウンドはライト側が深くて左打ちではホームランになりにくかった、右打ちの田中がレフトにホームランを打つのに対抗して右打ちに専念した、などの理由が見られました。
実は坂本や田中よりも上手い子がいた!?
先ほどもチラッと書きましたが、少年野球時代のほとんどは内野手(ショート)として活躍していたそうです。
というのも、坂本や田中以上に上手だった中心選手がチームメイトにいたとのこと。
その子がピッチャーをやっていたのですが、6年に上がる直前の春休みに肋骨骨折という大けがを負ってしまい離脱。
その結果、前途のとおり、坂本&田中バッテリーで6年生のラストシーズンを戦うことになりました。
体格も技術も頭一つ抜けていたということなので、怪我が無ければどうなっていたか....と思ってしまいますね。
最後に
やはり、天才は子供のころから天才。。
そしてその頃からドラマチックなエピソードが幾つもある。
スタープレイヤーって、もうそのような星の元に生まれているんでしょうかね。(笑)
ただ、負けん気は人一倍強かったそうです。
やっぱりそのようなメンタルを持っている子が、メキメキと上達していくんでしょうね。